私という存在

先日、友人と話したことが、なんか大切なことのような気がして、かきとめておこうと思います。

意識と記憶

私自身が自分で認識している私という人間の記憶がすべてなくなったら。。。私という人間を知っている人達から、仮に私という存在のすべての記憶がなくなったら。。。

少なくとも、記憶という情報で形作られた私は、いなくなる。

そう考えたら、単に過去の記憶や情報によって存在しているにすぎない、とても浅い部分で私という人間は認識されているし、自分でも認識しているような気がする。しかも、友人や家族が認識している私という人間は、すべて同じではないのかもしれない。ある人からみた私と、別のある人からみた私。違う私を見ているのかもしれない。

そんな曖昧な存在が

表面上の私。

自我の私。

偽物の私。

記憶や経験や情報によって形作られた私。

真の私という存在は、記憶にも情報にも支配されない、純粋な意識としての私。

意識として、真の魂にみんなが目覚めていったら、もう記憶も情報も何もいらず、一瞬で通じあえるようになるのかもしれないなぁ。

人って、今はまだ、記憶や情報(いつ、どこで生まれどこで育ってとか、どんな環境にいたとか。。。)によって形作られ、いいも悪いも、右往左往して生きているんだろうな。

記憶や情報から、卒業して、まっさらなただ今ここにある意識として目覚めたとき、はじめて、真の自分を生きれるようになるのかもしれない。。。

なんか、文章にするのが難しくて、何を言いたいのかわからないかもしれないけど。。。

そんなことを話し、感じた1日でした。

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